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2021/09

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1968年、京急が地下に潜る少し前に、反対側の端っこで大きな施設がオープンしました。
『京急油壺マリンパーク』

京浜急行電鉄出資100%の施設で、何かと京急線の列車とも関りを持ってきました。
その中でも特に皆さんの印象に残っているであろう列車が、言わずと知れた『マリンパーク号』かと思います。

特徴的なイルカのヘッドマークを掲げて走る姿は、写真や映像でしか見たことの無い僕もとても好きなものです。きっとリアルタイムで見られていた方々は多くの思い出があるかと思います。

なんとマリンパーク号の歴史は古く、開園直後の1968年9月。皆さんお馴染みのイルカのヘッドマークは、一度運行を休止した後1983年から使用されていた模様です。

手元にある最古の時刻表、1986年号では平日下り押上8:38発特急、品川10:07発快速特急の2本。上りが三崎口14:31発特急青砥行・15:27発快速特急品川行。休日ダイヤにもほとんど違いはありません。
この運行時間はマリンパーク号の運転が終了するまでほぼ変わらずのダイヤでした。

実はこの2本のうち快速特急はかなり珍しい列車だったんですね。
1999年の白紙改正以前、京急の快速特急は品川発久里浜行・特急は都営線発三崎口行が基調でした。
ところがこのマリンパーク号に限ってはその名の通りマリンパークへ行く人を中心に運んでいるわけですから、途中の久里浜止にするわけにもいきません笑

行楽シーズンには三崎口まで快速特急が走っていましたが、それ以外の時期では唯一の三崎口行快速特急だったわけですね。
ちなみに、1987年当時の7月5日~8月31日までの夏季ダイヤに於いては快速特急は三浦海岸折り返しを基準にしたため、そこでも三崎口行の快速特急は珍しいものでした。

更に更に、当時の快速特急は久里浜線内にも通過駅が。新大津・北久里浜は久里浜行の快速特急も通過するのでなんら珍しくはありませんが、野比・長沢の2駅を通過する営業電はこの快速特急マリンパーク号1往復のみでした。

なお、1993年のウィング号三崎口延伸時、ウィング号は新大津・北久里浜は通過していたものの野比・長沢の2駅には停車することになったため、この区間でのみ快速特急とウィング号での停車駅逆転が起こっていたのでした。
最も、当時の通常期の快速特急はマリンパーク号1往復のみだったためあまり大きな影響は起こっていないかと思われますが。

当時に行ってみたいですが、時刻表で振り返ることしかできないのが残念なもの。
皆さん、今の記録を大切にしましょう笑

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と、言うことで今回はこの辺で。
いじょう!!!

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本日、都営浅草線5500形の最新編成で恐らく最後の新造と思われる5527編成が29Tで営業運転を開始。これにより5500形は全ての編成が運用を開始したことになります。

2018年6月30日に最初の編成が運用を開始してから早3年3か月ですか。
登場当時はそこまで興味もありませんでしたが、今となっては日本で走ってる電車…いや、鉄道車両で一番好きかもしれません。5500形。
引退まであまり時間がありませんが、後悔しないように追いかけたいと思います。5500形を。

と、いうことで今回はこの辺で。
いじょう!!!

#都営車運用解説 第2回 2001年平日・03T

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第2回、前回に引き続き2001年改正の平日ダイヤより、03Tになります。

01W03T


1998年から2000年までは413Tという列車。これは01Tと同じエアポート快特の列番を01T~にした影響になっています。
列車番号が400台になったのは1997年の改正からで、それ以前は泉岳寺駅始発の電車(泉岳寺5:00発)でした。
それをそのまま品川まで1駅伸ばした結果、4:57の始発という時間になったのでしょうかね。

行先は高砂行です。1999年の改正時点では押上行でしたが、翌年の改正で高砂行に。以降平日は高砂行のまま変わっていません。
高砂に着くと折り返し西馬込行になるのも高砂行になった2000年からずっと変わらず。時刻もほとんど変わっていません。

ただそこからの折り返しが現在と異なっており、当時は到着後印旛日本医大まで1往復していました。
2003年までその状態が続き、2004年改正で押上行に。2006年に泉岳寺行に変わりましたが翌年即押上行に戻り、2010年7月改正で再び印旛日本医大行…と変化が激しいところ。
ここ数年は運用の流れ自体がほとんど変わっていません。平日は。
(土休日は2017年に突如エア快運用に抜擢され、青砥と羽田の間を駆け回っています)

印旛日本医大に到着後は即座に折り返しいったん馬込に入庫。現在だとここで列番が53T以降に変わっていますね。

高砂に着くと再び小休止。羽田空港まで足を延ばし、折り返しは当時は数本あった特急泉岳寺行。現在京急線内からの泉岳寺行は全てエアポート急行ですね。

泉岳寺到着後は西馬込行になりそのまま入庫…かと思いきや意地の1往復。

泉岳寺行は浅草線北行の最終列車。泉岳寺まではこの列車が最終、泉岳寺で2315T普通高砂行に接続していました。
この2315Tは現在でいう2259Hにあたり、京急線からの都営浅草線直通最終列車でした。

泉岳寺からの折り返し2402Tは最終列車ではありませんでしたが、それでも24時台始発の列車。都心の終電がいかに遅いかを表していますね。
なお現在は終電繰り上げの影響で、2402Tに相当する泉岳寺24:18発の列車(2416T)が最終列車になっています。

今回は2001年平日03Tを取り上げてみました。面白みは薄いかもしれませんが、浅草線一部区間の始発を担う大切な列車です。そして他者の駅で停泊するという直通運転の面白みもしっかりと含んだ運用となっています。

このまま列車番号順に進めていくか、ネタを意識したものにしていくか。少し迷っているところです。

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いじょう!!!


ーーー余談ーーー
当時の馬込一旦入庫時の再出庫は車両が変わった可能性もあったのでしょうか。2001年当時の列車番号が47Tまで(37Tを除く)の23運用、5300形27編成と5200形1編成の28本で朝の時点では5本の余裕。
うーん、何のための計算だったのか。

↑まで寝ぼけながら書いて、今はっきり目を覚まして。週3回更新にしようかな。
ーーー余談終わりーーー

#都営車運用解説 第1回 2001年平日・01T

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さて第1回は2001年7月15日ダイヤ改正より、平日01Tになります。
本当に第1回にしていいのか、第3回じゃないのか…と聞かれそうですが、第1回です。

2001年7月改正は前後の改正と比べるとそこまで大きい改正ではなく、99年の京急白紙改正から02年の京成の運転体型再編までの間の短い間の中の1つになりました。
都営車に関する大きな事といえば、この改正前日を以て上野駅への乗り入れが廃止になったことでしょうか。
前年まで平日3往復、休日1往復あった上野乗り入れは京急・京成車に置き換わり、京急車より一足先に廃止になりました。

実はこの平日01T、まさに上野乗り入れ廃止の影響を直接受けた運用の1つでした。
それでは見ていきましょう。

ppp


前年まで11Tを名乗っていた西馬込駅の始発電車はこの改正から01Tに。
同時に品川停泊の13T、浅草橋停泊の15Tも03T・05Tに変わっています。

行先は20年経った現在も変わらず印旛日本医大。
これに限らず始発帯の行先は20年経ってもそう大きく変わってはいません。
西馬込~高輪台・京成高砂~大町の各駅はこの電車が始発です。
印旛日本医大駅が開業したのは前年改正のことでしたが、前年改正時は印西牧の原行でした(印牧619着)

印旛日本医大からの折り返しはこの年めでたく設定になった北総線の特急として折り返し。
600Tは5本設定されている特急のうちの1本目で、北総線を走る特急の正真正銘1番列車となりました。
ちなみに前年までは北総線内同じ時刻で急行羽田空港行として運転されていて(686H)、所要時間は高砂までで3分短縮と言ったところでした。

2001年改正で設定された特急は5本のうち4本が都営車による運行で、1本が北総車でした。
運行本数・運転間隔は現在とほとんど変わらないものの、現在は北総車が3本・都営車が2本。
さらに北総特急よりも速達種別としてアクセス特急が北総特急運行時間帯に全て京成車で4本運転されています。

なお600T特急は2007年改正まで存続したあと、折り返しを20分早めて普通三崎口行に変わり、同時刻の列車は北総車に置き換わっています(626N)

西馬込到着後は普通青砥行に。翌年快速が誕生するとその主役に抜擢されることになりますが、それはまた別のお話です。

どうしても気になる方は以下のKSWeb様の記事をご覧ください↴
1201T
1600T

またこの改正以前は西馬込到着後に普通高砂行、2時間ほど休んだ後列車番号を09Tに変え、『普通上野行』として上野、折り返して成田空港まで運転されていました。

この年では青砥に到着後、折り返しは羽田空港行になります。
羽田空港に到着すると僅か2分での折り返し。終点高砂まで全区間で急行運転です。

京成線内急行の停車駅は曳舟・立石の2駅。2駅の住民で無ければ快速で十分ですね笑
もっとも、当時は快速が設定される前のことになるので急行が上から2番目に早い種別でした。

ちなみに数が多そうに見える『急行 高砂』、2001年改正当時は都営車では4本の設定で、2本が西馬込始発・1本が京成佐倉からの上り列車、そして1本がこの羽田空港始発の列車。意外と少数派でした。

高砂に到着すると一旦入庫し、このまま入庫へまっしぐら…と見せかけて西馬込から意地の1往復。
入庫場所はダイヤ改正の度にコロコロ変わっています。現在は平日・休日とも宗吾参道ですね。

という感じで第1回は2001年改正の平日01Tを取りあげてみました。

北総初の特急として沿線を賑わせたであろうこの運用は、翌年改正で更に沿線のオタクたちを沸かせることになります…が、2002年の時刻表を持っていないのでそれはまた今度。

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#都営車運用解説 第0回:ぷろろーぐ

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さて、とりあえず2002年のダイヤを除いて21世紀の都営車の運用が大方組めたところで、6年近くブログやりつつ1回もまともに成就したことの無い企画というものをやってみようかと。

ここ2年(もっと言えば直近1年くらいですが)で都営車の魅力にすっかりハマったのはこのブログを見ていただいてる方は良くお分かりかと思います。

その魅力がどうすれば伝わるかなって考えた時に、都営車の魅力ってのが
『運用範囲の広さ』
にやっぱりあると。

過去に直通していた上野・東成田まで含めるとその運用範囲は213.1Km。
東京からいわきまでが215Kmとのことですから、それに匹敵する運用範囲の広さを誇るわけですね。

そして京急・都営・京成・北総の4者での直通運転をするということで種別・行先のパターンも複雑であり、更にそこに運用番号が入ってくるともう大変。ここ20年での運番・種別・行先のパターンは1000を超える複雑さ。そりゃぁ今までに行先として設定されたことがある駅数が27駅もあるんですからそうなりますよ。

ただ、都営車に限らずやっぱり問題なのが、ネットには過去の情報があまり載っていないということ。
あの四直資料室さんでも運用表が公開されているのは2016年改正ダイヤからで、それ以前の運用表については中々見つけることができません。

無いなら作っちゃえ。

持前の時刻表コレクションを存分に発揮できる機会なわけですね笑

そこで昨年…か一昨年くらいからExcelで都営車の運用表を作り始め、今年の初夏に大量の資料が手に入り一気に作業が進みました(おい受験生)

そしてこの度、150冊の時刻表がありながら偶然に次ぐ偶然で該当の時刻表が1冊も無かった2002年改正を除き21世紀に入ってからの全ての運用表作成が"ひとまず"完成。
作った時期によってバージョンが4つくらいに分かれてしまっているのでそのデザインなんかを統一して、5300形が引退する頃に全て公開で切ればいいなぁなんて思ってます。が、果たして5300形が引退するのはいつになることか。5527編成の試運転も終わり、正直別に今日引退してもそんな大々的な問題は起こらないかなぁなんて。

21世紀の、21世紀の、といってるのは5300形の登場が1991年だからですね。
僕の資料は基本的に東京時刻表なんですが、東京時刻表の刊行が1998年、京急線の運用が載るのが1999年改正から、都営・京成・北総の運用が載るのが2000年改正から。
京急時刻表に列番が載るのは2001年改正から。

それに比べて凄いのは京成時刻表で、なんと創刊号の1981年当時から列車番号がしっかりと記載。
更に1985年以降は両数も記載されています。

これが何を意味するかというと、簡単に言えば『5300形の運用が区別できる』
1991年の5300形登場時、都営車に限らず地下鉄直通運用にはまだ6両編成がかなり残っていました。

都営車の運用~といっても僕は5300形・5500形の運用に注目しているわけであり、仮に
『XXT 急行 西白井』
ってのがあってもそれが6連限定運用だったら5300形はそれに充当されることは無いわけです。

そうなると僕の趣味嗜好からは若干外れるな…と。その区別がちゃんとできる両数の記載は本当に助かります。助かるのは1991年から5000形引退の1995年までの短い時期に限りますが笑

2.京急ファンも発行が待ち遠しい!? 最近は京急・京成同時ダイヤ改正というのも増えましたが、京成のダイヤ改正・修正が近づくと、京急ファンも時刻表の発売を待ち望みます。何故?それは「列車番号」の存在です。「なぁ~んだ、それなら他社の時刻表でも載ってるじゃん!」確かにそうですが、日本一複雑さを究めた運行体系のため、列車番号でどの会社の車両が入るか一目でわかるこの「京成時刻表」が重宝されるのが一点、もう一点は1998年までは京急の時刻表には列車番号が載せられていないことにありました(現在は掲載されています)。まあ、普通に時刻だけを調べるのなら列車番号はいらないものなのですが、我々鉄道趣味な人々には必要不可欠なものなのです。
とこのサイトにも書かれている通り、列車番号の記載は本当に重要です笑

しかし京成時刻表…高い!!めっちゃ値段が高い。買えない。手が届かない。そんなこんなで持っている京成時刻表は僅かであり、更にそれに対応する京急時刻表を持っていないと京急線内の時刻が分からない…!!って感じで90年代については行き詰っている状況です。

さて、ここまで語ったところで実際運用表をどんな感じで作ったかを見て頂こうと思います。
aaa


色合いは京急の特別塗装車運行予定をほぼ丸パクり。鉄道会社が運用表に使ってるんだから視認性は抜群だろうと思ったらそのとおりで、個人的にはかなり見やすい色合いになった&どの種別色も邪魔しない色になっているなぁと。

さぁ次回…といってもこの後更新予定ですが、記念すべき第1回は2001年改正・平日01Tをお届けしようと思います。

尚、2016年以前のダイヤ(ほぼ全部じゃねぇか)に関しては僕が目視したことのある部分が極端に少ないため憶測がかなり含まれるほか、間違った情報を誤って掲載してしまう可能性があります。
そういった内容を見つけた際は訂正していただけると幸いです。

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ーーーここから余談ーーー
京急線内の運番が載ってなくても、京成時刻表に載っていて該当する京急時刻表を持っていればある程度憶測することができます。
新逗子駅の配線は1面1線ですから、例えば高砂発新逗子行だとすればその折り返しは何があってもその電車が着いた折り返し。
羽田駅も当時は乗車・降車ホームが分かれていて折り返しができるのは1本のみですから、仮に折り返しが京急蒲田行の普通車だったとしても…と思いましたが空港線は回送の本数が多くてよく分からん状態でした。
三崎口は2面2線の駅なのでちょっと分かり辛いですが、その前後の運用と繋げれば大方把握できるレベル。

京急線内はいいんですよ。京急線内は。一番の問題が都営線内。

現在の京成時刻表は浅草線の列車も全列車記載されていますが、1997年号以前は"京成線の列車に接続する列車のみ"掲載されていました。

つまり、マゴローの中でも他との接続が無い寂しい列車は記載されていなかったわけなんですね。
更に更に、当時運転されていた西馬込⇔押上の運転系統も一部載っていない!!これは大変なんですよね。
京急時刻表には接続時刻表などと称して泉岳寺駅での浅草線の時刻表が駅で配られる時刻表の形式で配布されています。もちろん列番は載っていません。
1995年以降なら全列車が8連運用なのでいいんですけど、それ以前だと6両か8両かも分かりません。
そして追い打ちをかける問題が、京急線からの直通列車は直通先の時刻が書かれていない。

えっ?どういうことか?

行先しか載ってないんですよ行先しか。ってなわけで僕が憶測しまくって頑張って作った運用表が↓
ppp

赤文字が時刻不明の憶測部分。両数は京成時刻表を基にしていますがそれでも謎ばっかり。
なぜ青砥の折り返しで両数が変わるんだ???????????
1008T(であろう列車)から1609Tへの入庫で両数が変わるのは全然分かるんですよ。
なんで青砥で両数が変わる????
何回読んでもこうなんですよ。なんでですかね。
誤植なのかなぁ…どうなんだろう…。
ちなみに709Taと2308Tに至っては始発も終着も前後の列車との運転間隔を考慮しての憶測なので、最悪10分くらい時刻が違う可能性も。これは当時駅で配られていた時刻表を手に入れるしかないんですよね。あーあこれは大変だ。若しくはダイヤグラムを手に入れないと。
ーーー以上余談でしたーーー

進捗状況。

カテゴリ:
unyo

運用表とは別に、年度毎の列番と行先の組み合わせをまとめています。
00年、01年、03年、04年、06年、10年5月、16年、17年、19年、20年の全日・07年・09年の平日、99年の京急線内運用で少なくとも1045パターン(✈快特のオレンジ・緑はそれぞれ換算)。5300形が表示していた列番・種別・行先のパターンは少なくとも1000を軽く超えることになるんですね。ひやぁ末恐ろしい。
流石に全部揃えてる猛者なんかとてもいないと思いますが、5500形ではなるべく多く抑えたいところ。
新橋や西白井なんかも撮れれば万々歳なんですけどねぇ笑

と、いうことで今回はこの辺で。
いじょう!!!

時刻表をコレクションしてます。

カテゴリ:
ブログネタ
【公式】自慢のコレクションはありますか? に参加中!
つい何日か前のネタにもしましたが、『公式ブログネタ』なるものを偶然見つけてせっかくなので参加させていただこうと思います。

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まぁ僕がコレクションしてると言えばこれに尽きるでしょう。
株式会社交通新聞社より出版されている『My LINE 東京時刻表』です。

現在は不定期発行になってしまいましたが、1998年9月の創刊号から2019年3月までは毎月発行されていました。

雑誌のコレクションをされている方はとても多いかと思いますが、1ページが薄いとはいえ1000ページを超える本を150冊以上所持している人は中々いらっしゃらないかと思います笑

この時刻表の面白いポイントは、タイトルの通り『東京』であること。
『首都圏100kmエリアのJR・私鉄・地下鉄 全線・全駅・全時刻収録』
の謳い文句通り、全国版の時刻表には始発・終電の時刻しか載っていない山手線や地下鉄などの時刻も全て見ることができます。

ここが僕のおすすめポイント。関東の私鉄が好きな僕にとって、この時刻表こそ趣味を充実させる間違いないものなんです。

例えば創刊号の1998年9月号、東京メトロは全部営団地下鉄、半蔵門線は水天宮まで、副都心線は無く有楽町線新線が新線池袋まで。今は亡き東急目蒲線、京急の羽田空港駅は開業前などと今では見られない路線の時刻もほぼすべて見ることができます。

懐かしさに浸れるワケです笑

全国版の時刻表にも駅名は載ってるんですが、それじゃあ『運転間隔はどうだったんだ』『速達との追い抜きはどこでやっていたんだ』などの細かいところは分からないわけですね。それが分かるのが東京時刻表の利点かと思います。

収集方法は主に古本屋で、画像のうち背表紙が赤い本だと基本的に1冊100円くらいで入手することができます。一方少し古い背表紙が黄色い本は、号にもよりますが1冊7000円近くでも取引されるレベルで収集には苦労しました。

苦労、といってもコンプリートしているわけでは無いので、まだまだこれからも見つけ次第集めて行っていつかは全号集められたらいいな、と思います。

と、いうことで今回はこの辺で。
いじょう!!!

3156編成、出場(2021/09/22)

カテゴリ:
A

3400形 3448編成 77K ✈急行 成田行
3100形 3156編成 21K 回送

サイコロ編成とは誰が呼んだものか(誰も呼んでねぇよ)、京成3100形3156編成の出場回送が行われています。行われている、というのも(ry

2121Kが走るのは昨年7月13日以来1年2か月振り(まぁ同スジの2199Tはつい先週走ってますが)ということになりました。

3100形単独での出場は3154、3153に続いて3編成目。3100形自体の出場は3152,3151編成も含めて5編成目になります。

3050形の編成数が6編成でしたから、恐らく次の3155編成を以て3100形のアクセス線向け車両は製造を終了することになるかと思います。

大所帯の5500形に比べたら…って感じですが用途からして妥当ですね笑

また今回は平和島で並ぶ相手の77Kが3400形ということもあって個人的にかなり沸きました。
3448編成の由来はAE70編成、中間車の一部は1972年・その他は1978年11月製造と床下だけを見れば数年前まで京急最古参だった800形よりも古いという事実。
1000形の最終増備車、デハ1243-1250が1978年10月製造ですから、その辺りとほぼ変わらない床下を持っているんですね。衝撃。

てなわけで床下だけで見れば43年差。驚きです笑

3400形がこれで玉つき廃車になるのか、それとも3600形や3500形に動きがあるのか。
これから目が離せませんね。

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文字にするの面倒臭いから脳内で思ったことそのまま文字にならないかな。音声認識ならぬ脳内認識。あーなってくれないかな。なってくれたら楽なんだけどな。

てなわけで明日は体育祭らしいっす。といってもこの宣言下なので大きい行事として開催することはできず、学年行事として行うようです。
各学年を時間で区切って1学年づつの体育祭。基本的にどの競技も全員参加なので、観客側の競技はゼロ。こんな体育祭もこのご時世らしくていいのかもしれませんね笑

と、いうことで今回はこの辺で。
いじょう!!!

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