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01W07T


平日07T…といえば言わずと知れた宗吾参道出庫運用。ところが当時はその様子が全く異なっていました。
前年までは17T…でしたが、2000年改正当時の出庫場所は神奈川新町。現在の43Tに相当します。


07Tに変わって出庫は西馬込5:11。現在の11Tに相当します。
出庫が宗吾参道に変わったのは2004年改正からで、それまでは京成車の運用でした。
また2004年の設定当初から2011年改正までは5:20頃、2012年改正では7:49。2013年改正で現在と同じ時刻になっています。


高砂に到着後は40分ほどの休憩の後羽田空港行に。
ちなみに606Tの1本前には津田沼始発の各駅停車押上行がありました(656レ)
津田沼から押上まで先着の列車で、京成本線から押上線に直通する唯一の各駅停車でした。
50番台は4連の運用だった…んですよね?多分。
606Tは朝ラッシュの追い抜きが始まる直前の列車で、この2001年改正から使用開始された八広駅の待避線は使うことなく、終点の羽田空港まで先着でした。

ところでこの列車の1本前に空港線を行く列車はなんと13分前。
6:49、6:55、7:00、7:08、7:16、7:29(606T)、7:34、7:41、7:45、7:53とこんな様子。
上り列車が6:46、6:52、6:58、7:03、7:12、7:20、7:26、7:32、7:38、7:48、7:58(707T)
とかなりギリギリでやっていたことからも当時のダイヤの制約のキツさがよく分かります。


羽田空港で折り返した後、当時の朝ラッシュ上り急行は平和島でB快特の待避を行っており、707Tは707Bの待避を行っていました。
B快特が品川到着後に地下直急行に乗り継ぎができるのは便利だったのではないでしょうかね?

泉岳寺以遠は僅か4分後に西馬込からの印旛日本医大行が。結局707Tの終点である印西牧の原まで4分の差は開くことも閉じることもありません。
高砂時点で8:39、8:51(707T)、8:55、9:02と運転間隔が不規則過ぎるのでやや不便ですねぇ…。
もっとも、この時間の下り列車はかなり空いているものと思われますが。

先日801Tに乗って印旛日本医大に10時ごろ付きましたが、本当にガラガラでした。コロナの影響もありそうですが。

ここで一旦入庫。16:41に再び羽田空港行として動き出します(1606T)。列車番号だけ見れば現在のあれですね笑
夕方のパターンダイヤの中を羽田空港間で走り、折り返しは泉岳寺行(1807T)。
1本後の泉岳寺行(1811T)は特急ですが、この列車は急行。この辺りの種別の違いはマジでよく分かりません。折り返し前に合わせてるのかな…と思いましたがそうでもなく、前年の流れに沿っているわけでもなく。
なんなら前年の特急泉岳寺行は折り返し前急行羽田空港行ですから増々謎は深まるばかりです笑

ちなみに1807Tも1811Tも泉岳寺からの折り返しは西馬込行。意地の一往復を見せることは無く、そのまま入庫になります。

現在とは大きく異なる07Tを見ていきました。もっとも、20年近く同じ流れをくむ運用なんて中々存在しないんですけどね笑

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と、言うことで今回はこの辺で。
いじょう!!!

ーーー余談ーーー
都営車全駅記録をしていた僕ですが、あと1年くらい早く記録を始めていれば『全ホーム記録』を達成できたかなぁって思います。
前にもこのブログで言ったことがあると思いますが、例えば上大岡駅だと4線全部に入線する運用があるんですよね。本線は快特・特急で待避線は✈急行。
八広なんかは3線しかありませんが方向で言えば4方向ですよね。2番線から双方向に列車がありますから。
今回出てきた707Tは平和島待避線に入る運用で、当時はそんなのザラにあったので何とも珍しくありませんが、現在平和島駅待避線に入る都営車の運用は無いので今から見ればレア。
京成車が77K、北総車が37Nで下り待避線、列番は忘れましたが上り待避線に入る北総車の運用は存在します。ただ都営車が無いんですよね。
と、ただ行先がレアだ!!特急三崎口行だ!!となるだけではなく、入線するホームだったり列車番号だったりをもっと見ていきたいですね。
ーーー余談終わりーーー