#都営車運用解説 第7回 2001年平日・13T
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さて今回も懲りずに連番2001年平日13Tです。
それではさっそく見ていきましょう。
513T(西馬込5:36→印旛日本医大7:01)
現在同じスジの担当は京急車(577H)が泉岳寺まで、泉岳寺では羽田空港から来た517Tに乗り換え…ということになっています。ちなみに現在の517Tは東松戸でスカイライナーの待避を行うため、印旛到着は7分繰り下がって7:08になっています。
712T(印旛日本医大7:09→西馬込8:24)
この年から新設された…って話はもう3回目。当時5本運転されていた内の1本です。
ちなみに新鎌ヶ谷から京成高砂までの無停車区間は12.7Km。これは恐らく四直一般車の無停車区間では最長では無いでしょうかね?
途中八広で印旛日本医大を9分前に出た羽田空港行(726H)を追い抜きます。ちなみに27Hは品川5:30出庫。記憶が正しければ新町出庫で品川まで回送の便で、一部ダイヤでは都営車が充当だったこともありました。
泉岳寺での京急線接続は無く、八広で追い抜いた羽田空港行に乗り換えになります。
813T(西馬込8:32→印西牧の原9:52)
折り返しは印西牧の原行。印牧到着後は一旦入庫します。
1612T(印西牧の原16:52→西馬込18:12)
この辺りは現在と一切違うので何も比較することができない…
京急線方面へは押上で押上始発の特急三崎口行(1786H)に乗り換えになります。
当時、平日夕ラッシュの京急線横浜方面への列車は16:40~19:01までほぼ10分間隔で特急三崎口行として運転されていました。
現在は延長されて青砥・高砂始発になっていますね。
1813T(西馬込18:19→押上18:54)
現在平日夕方・夜に日本橋方面からの押上行はありません。
押上より先へは泉岳寺で3分後に来る京急久里浜始発の青砥行(1789H)に乗り換えです。
当時の夕ラッシュ(17:00~18:00)は横浜方面からの押上行・西馬込からの京成特急・羽田からの北総線・西馬込からの青砥・高砂行が10分サイクルで運転されていましたが、この1813Tは夕ラッシュから夜ダイヤに移行する狭間のバラバラなところでした。
1912T(押上19:01→三崎口20:46)
1612Tで"16:40~19:01までほぼ10分間隔で"と言ったところ、その最後の列車がこの1912Tです。
平和島(1970レ文庫行)
川崎(1908レ始発浦賀行)
生麦(1920レ文庫行)
新町(1946レ新逗子行)
南太田(1844レ文庫行)
上大岡(1918レ浦賀行)
堀ノ内(1832レ浦賀行)
を追い抜きます。
京急久里浜では品川を10分後に出た快特京急久里浜行(1902A)に追いつかれます。
この1902A、文庫で新逗子行(2002B)を切り離す癖にこの早さ。
ちなみに文庫・八景での追い抜きはありません。1912Tが文庫に到着するのが20:10なのですが、その直前に普電が3本あるんですよね。
(19:58着/20:06発浦賀行→1832レ・20:04着→20:07発新逗子行→1976レ・20:08着文庫止→1858レ)
汐入~横須賀中央では2009T快特印旛日本医大行とすれ違います。
2113T(三崎口21:00→青砥22:46)
久里浜以北でこの列車の20分後にはもう1本都営車の運用(2123T特急)が設定されていますが、この列車は快特。
夜上りで快特と特急が来るのもバリエーションに富んでていいですよね。
ちなみに2123Tは久里浜始発なので久里浜線内でのすれ違いは残念ながら見ることができません。
堀ノ内(2109レ新町行)
文庫(2145レ新町行)
上大岡(2145レ川崎行)
南太田(2019レ新町行)
新町(2113レ品川行)
川崎(2159レ品川行)
鮫洲(2047レ品川行)
をそれぞれ追い抜きます。
泉岳寺では西馬込からの泉岳寺止(2245T)からの接続を受け青砥には22:46着。
青砥では急行成田行(22A21)に接続します。なおこの時間、東成田行・成田空港行ともに最終電車は終了済みなので、残念ながら成田空港まで行くことはできません。
2312T(青砥23:06→西馬込23:50)
金町からの上野行(2274C)からの接続を受けて青砥を発車。なお2274Cは高砂で成田発の普通高砂行(2112レ)からの接続を受けています。
なんとなんとこの2112レ、始発の成田から終着の高砂まで途中1本も抜かれないという列車。
2112レ→2274Cで成田から上野まで途中1本も抜かれず走りきります。
2312Tは泉岳寺で泉岳寺始発の特急京急久里浜行(2316H)に接続します。
西馬込到着後はそのまま入庫に。
…と、都営車の運用から直接関係のないところまで話が及んだ第7回も終わりになります。
淡々と運用紹介するだけじゃちょっと僕も面白くないので、接続電なんかもぶわぁぁっと紹介してみましたがどうでしょうかね?僕の稚拙な文章じゃうまく伝わったかどうか…。
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と、言うことで今回はこの辺で。
いじょう!!!
ーーー余談ーーー
いやぁ終電が1時間以上も繰り下がってるんですね。終電といえば当時の京急線上り特急の終電は都営車の運用でした。
下りも上りも終電が都営車とはこれまた面白い。
そいえば5501編成もSR無線を付けて運用に復帰しましたね。5504に比べるとあっという間に出てきた印象です。
上の2113Tに付随して終電のお話をば。
当時の成田空港行終電は青砥21:23発(21A15)、東成田行終電は青砥21:47発(2159K))
イブニングライナーの最終列車であるイブニングライナー61号も青砥22:18発…と思いきや成田行(23:01着)だったので成田空港までは行けません。
現行ダイヤだと成田空港行一般車が青砥22:50発の快速(22A07)、成田空港行有料特急が青砥23:16発のイブニングライナー213号(23AE03)、芝山千代田行が青砥22:10発の通勤特急(2163K)と。
20年で成田空港行の終電は青砥基準で1時間も繰り下がってるんですね。最終が有料特急なのは知りませんでした。
終電繰り上げが目立った昨年度の改正ですが、成田空港行はそのまま変わらず残ったみたいですね。
個人的に京成の最終といえば通勤特急佐倉行というイメージがあったのでそれが崩れたのは大きいですよね。
2001年当時は通勤特急が存在しない丁度狭間の時期(1998年11月18日廃止→2002年10月12日復活)だったので、特急佐倉行(2393K)としての運行。市川真間で普通津田沼行最終(2339レ)を追い抜いていて、八幡から津田沼までの各駅と八千代台・勝田台・佐倉への最終でした。
最末期は市川真間ではなく高砂で普通津田沼最終(23B17)を追い抜き小岩~菅野への終電も兼ねる状態に。
志津・ユーカリが丘・臼井に止まる通勤特急になったために西馬込の発車が数分繰り上がっていました。
今回余談が長いなぁ…。
ーーー余談終わりーーー
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