カテゴリ:
さて、97年10月改正休日ダイヤを編集しているわけです。93年改正で都営車が三崎口に乗り入れるようになって早4年。

平日は51Tと61Tが各1往復、87Tが3往復。休日は69Tが4往復、95Tが1往復。今と比べれば大賑わいですね。

そこで休日69Tに着目するわけですが、
2069T 三崎口20:30→久里浜20:41
の後行方が分からなくなっています。

というのも、運行図表によるとこの2069Tは久里工入庫ではなく京急久里浜駅入庫。京急久里浜で△になり列車が切られています。

ちなみにこの運用が翌日流れるのは休日なら79T(文庫5:50)、平日なら99T(文庫7:03)になるかと思われます。こちらの根拠として、営業で文庫に入庫する列車が存在しないこと、これらの運用の他は運用数に辻褄が合うことなどが挙げられます。

さて、では2069Tが京急久里浜駅に入庫してからどう金沢文庫まで移動するのか…。

まず、2069Tが久里浜で接続する上り列車は2069H(特急押上行)。これ偶然かと思いきやそうではないんですよね。
そもそも69Tが69Tたる理由として、京急車の運用の中に突っ込まれたからというのがあります。

京急のH台は昔も今も変わらず ""基本は"" 51H~の番号が割り当てられています。今のように81Hが急に成田までぶっ飛んだり、折り返し羽田空港行になったりすることも少ないので、基本的には51H以下連番で運用が流れていきます。

51H、53H…65H、67H…といった具合に。

当時は他社の運用に置き換わっても運番は改正前のを踏襲する、ということがある程度あったようで(条件は不明)、上述した三崎口乗り入れもその色が強そうです。

ただ前年までの69Hの運用全てを69Tで置き換えてしまうと三崎口停泊になってしまう為、途中で交換する必要が生じます。

それが2069Tと2069Hの交換なわけですが、この2069Hが本当に京急車の運用なのか今となっては分かりません。ちなみに2069Hの出庫は京急久里浜駅となっており、久里工ではありません。
怪しいんですよね。これ。
基本的に久里浜で車両交換をする列車は久里工からの入出庫も1つの列車として扱われているので、例えば

1012A 〇久里工10:39→久里浜10:42
1013A 久里浜10:43→品川11:32

1013AX 三崎口10:28→久里浜10:40/10:50→久里工10:53△

みたいな感じで、ちゃんと久里工から入出庫していることになります。

ただこの69Tと69Hの交換の場合、運行図表では久里浜入出庫扱い、久里工への回送もありません。

しいて言うなら、

2069T 三崎口20:30→久里浜20:41△

回2040 〇久里工20:39→久里浜20:42
回2041 久里浜20:51→久里工20:54△

2069H 〇久里浜20:47→押上22:14

っていう交換できそうな回送があるにはあるんですが、この回41は不定回なんっすよね。
更に20:35着/20:44発で1Aが挟まってきてます。

時系列を整理すると、
1900Aが久里浜中線に到着、6分後に2069Tが久里浜4番に入線。不定回施行ならほぼ同時に回2040が久里浜1番に入線します。この時点で久里浜は満線。
その数分後に2001Aが発車、3分後に2069H…ん-----この2069Hはどこから出てくるんですか???仮に回2040→2069Hになる場合、久里浜でMSTしてたことになりますね。

めっちゃちなみにですが回2041の入庫3分後、20:57に久里工を出庫し文庫21:19入庫のKC2011というスジもありまして、これはもちろん不定回。

となると2069Hの可能性が否めないのかなぁと思います。2069Hは文庫で普電を追い抜かないので、ここでの交換もできそう。ただなぁ。乗換が生じる場合東京時刻表・京急時刻表共にちゃんと記述してくれるんですよね。



…ただ一概に2069Hだ!とも言えないのがこの運用。

翌98年11月改正では、回2041がそのまま2069Tに組み込まれることになります。但し2069Tとして久里工に入庫した後の流れは不明。

99年7月改正は手元に資料がないため何とも言えませんが、翌00年7月改正。
616Tとして久里浜8:55着の後、行方が分からなくなっています。

69Tだった運用は

2027T 三崎口20:22→久里浜20:34
2227T 久里浜22:42→高砂24:21
と完結するように。この2227Tは97年時点の2295Tに当たります。そのため今回の本題に沿った回送はなさそうですが、616Tがどのように文庫まで回送されるかが不明です。

更に翌01年9月改正では13Tが餌食に。
2013T 三崎口20:59→久里浜21:11/21:14→久里工21:17として入庫後行方が分からなくなっています。

そしてこの文庫入庫騒動は、2002年改正で深夜特急が都営車の運用に持ち替わったことで終焉を迎えることになります。

というようにこの時間の回送は4年近く行方不明の状態が続くことに。これどんな意味があってのことなんですかね…?都営車の回送は通常ならそのままの運番で回送されるので、4桁の数字だけの回送で上る可能性はあまり考えられず、じゃあどっかのHに紛れ込んで上ったのか…?と。

ただ翌年2069Tが回2041を取り込んだことを考えると…いやぁでもダイヤ改正してるんだから運用の流れが変わってもおかしくないし…ちなみに98年改正では2069Hが久里浜20:48→青砥22:23でやはり69Hとして存続しています。

ここまで迷な運用だと誰かが取り上げたりもしてそうですが、インターネット黎明期の90年代後半ですから当時の声を聞くのも難しいかな…なんて思います。特に都営車の運用となると。

この回送に限らず、何か有識者の声が頂ければなぁなんて密かに思ったりしています。


考察結果:
①回2041(久里浜20:51→久里工20:54△)が不定回といいつつ実質定回のような状態であり、2069Tはこれを使って久里工に入庫していた可能性がある。
②この場合、久里工から文庫までの回送が「回〇〇〇〇」のような京急側の回送スジになる。
・KC2011 久里工20:57→文庫21:19(不定)
・回2141 久里工21:20→文庫21:40(定期)
・回2143 久里工21:26→文庫21:47(定期)
・そのほか回2147、回2249(不定)、回2253(不定)、回2257、回2359(不定)が全て久里工出庫・文庫入庫で存在。
→翌朝の出庫までの回送スジは存在しない為、これらのどれかが都営車のスジであり文庫まで回送されたものの可能性がある。
→これらに関して、回1003を5300形が代走した事例などもあることから一概に可能性がゼロとは言い難い。
③2069Tが久里浜で2069Hに運番を変更し、固定代走として営業していた可能性がある。尚2069Hは押上行、折り返しの2268Hは三崎口行最終であるため途中で車両交換されているはずである。
2069Hの文庫・泉岳寺・2268Hの泉岳寺で交換が可能である(2069H新町・2268H文庫は緩急接続があるため車両交換は現実的ではない(がゼロではない)
→但し通常車両交換が行われる場合時刻表にその旨が記載されることからこの可能性は低いと考える。
④本件から少し逸れるが、このような久里工→文庫の回送スジがT台で存在しない時期が2002年改正前まで続いた為、今回の考察に於ける措置が4年近く続いたものと考えられる。その場合流石に誰も記録してないとは言い難いのではないか…?


てな感じでまともに考察もできずに終わってしまいました。うーん。分からん。


さて、こんな感じで都営浅草線の車両に関する運用をひたすら追っています。
ここの皆様ご存知本垢 @localrokugodote の他に、都営車専門のアカウントを開設しました。



まだ正式な活動方針は未定ですがフォローして頂けたら嬉しいです。

鉄道コム

ブログランキングに参加しています。リンク先に飛んでいただけるとありがたいです!励みになりますm(_ _"m)

と、いうことで今回はこの辺で。
いじょう!!!